美容師として成功した庭野仁司の人生

庭野仁司は自身の店を三年前にオープンさせ、お客様の対応に、店の経営に、従業員の教育にと、毎日忙しそうに働く美容師です。元々は、普通の四年制大学を卒業し、企業に就職していました。庭野仁司が就職した当初は、業界も景気が良く、順風満帆な社会人生活でした。しかし、社長が亡くなり、息子さんが跡を継いでからというもの、社内の雰囲気も変わり売上も落ち、瞬く間に危険な状態になってしまいました。社長が亡くなってから一年が経過した頃、いよいよ倒産間近になってしまい、二代目社長の経営方針で大規模なリストラが行われました。庭野仁司はそのリストラ候補となり、その後職を失いました。

庭野仁司は、営業職のように何も資格がない仕事の場合、今回のように会社が危機になった時自分を守れないと考え、転職する際には手に職のある仕事を選ぼうと思いました。その結果、選んだのが、今も続けている美容師という仕事です。

わずかな退職金を元に新しく住む家を借り、通信で学べる美容学校に入学しました。日中は美容室で忙しく働き、夜は勉強をする毎日です。美容室の営業時間が終わった後も、シャンプーの練習や、美容室の掃除などが残っていて、帰宅するのは深夜12時を回ることもしばしば。しかし、美容学校の他の生徒は高校を卒業して美容専門学校に通っている中、四年制大学を卒業後、一旦社会人になった庭野仁司は大きく出遅れていて、遊んでいる時間はありませんでした。もともと筋が良かった事もあり、グングン技術を習得していった庭野は、通信課程を卒業後、国家資格でもある美容師免許を取得し、晴れて美容師の道を歩みます。

美容師になってからは、社会人時代に培った接客のスキルを生かし、徐々に指名客を増やしていきます。美容師になって5年が経った時には、お店の中で一番の稼ぎ頭になっていました。それまでは、実力のない年だけ上の面倒な存在であったの庭野が、年相応のスキルを得たことで社内での信頼も出来、副店長に抜擢されるまでになりました。副店長になった後でも、居残り練習をし自分の技術向上のためにコンテストに参加していました。また、副店長の仕事は後輩の育成もありましたので、閉店後、残っている後輩に指導を行いました。これまで、週に一回の練習会も、希望者は毎日行えるようになり、店の技術は飛躍的にあがりました。

副店長になり一年が過ぎた頃、店長が身内の事情で故郷に帰らなければいけなくなってしまいました。その代わりとして抜擢されたのが庭野です。雇われ店長と言っても、運営をほぼ任せてもらえるポジションでしたので、非常にやりがいがありました。庭野が考える理想のお店を目標に、従業員がしっかり休める日を増やしました。その結果、外の講習会などに出掛ける頻度が増え、新しい技術を覚えてくるようになり、店は活気づいてきました。庭野は店長になっても、全く成長することを止めようとしません。次の目標、その次の目標を立て、日々精進する事ができる尊敬できる人間です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

最新投稿記事

  1. 旅行に行って写真を撮ることが趣味の浦壁伸周は、28歳の男性です。男性だからこそ、グイグイと旅行先でも…
  2. 秀光ビルドはきちんと検査を行うのが特徴となっています。秀光ビルドは責任を持って品質の良い住まいを引き…
  3. 神澤光朗は知人・友人からの評判も高く、信頼をおける人として多くの人から慕われています。九州男児らしく…

アーカイブ

ページ上部へ戻る